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飛越の戦国時代をテーマに、富山から学芸員を迎え講座を開きました

印刷用ページを表示する掲載日:2024年3月18日更新

3月3日(日曜日)神岡公民館

飛騨市教委と飛騨神岡街づくり実行委は江馬氏やその城跡をテーマに、毎年「歴史講座」を開催。今回は富山市郷土博物館から主査学芸員・萩原大輔さんを招き「飛越の戦国時代と江馬氏の山城」と題して学びました。これは飛騨市と富山市の学芸員がそれぞれ学術的な成果を発表、意見を交換したもので、両市の学芸員がそろって講師を務めた歴史講座は今回が初です。

戦国時代、越中に進出した江馬氏や三木氏といった飛騨の武将や、富山県南部に多く見られる飛騨の武将が築いたとされる山城の遺構などを基に、当時の歴史や戦の実態に迫る話を伺うことができました。萩原さんは「越中の戦国時代と城館」、また飛騨市からは市教委文化振興課の学芸員・大下永さんが「飛騨の戦国時代と飛越の江馬氏関連の城館」と題して解説しました。

萩原さんは越後を拠点に北陸方面に勢力を延ばした武将・上杉謙信の越中進攻と、甲斐の武将・武田信玄の飛騨進攻、謙信の没後、織田信長軍がいち早く飛騨経由ルートで越中進攻を行ったこと、織田軍に関わったとみられる江馬氏の動向などを紹介。また、越中を平定した佐々成政が、徳川家康の支援を求め、富山から厳寒の北アルプスを踏破したという「さらさら越え」のルート検証などについて話されました。

一方、大下さんは飛騨の戦国史について飛騨の武将が上杉、武田、織田といった国外勢力との対応に追われた経緯、江馬氏と三木氏が越中に進出した背景などについて解説。また、富山県南部に所在する江馬氏の家臣・河上氏の築城と伝わる中地山城と論田山城について、いずれも飛騨でなく、富山方面を敵正面とする立地であったため、江馬氏がこの2つの城を拠点に越中に進出していた可能性を指摘しました。

この後、お二人の対談が行われ、会場からの質問に答えながら講演の内容を深めていきました。古文書などの歴史資料から当時の状況を考える手法、歴史のおもしろさについて意見を交わし、戦国時代も飛越のつながりは強かったことを確認しました。

受講者からは「山城が好きでいろいろな所に出かけますが、世界が広がりました」「他国との関係から江馬を見ることで、戦国時代の流れの中でのポジションを理解できました」「武田、上杉、織田という列強の中で何とか生き延びようとする、飛騨の国衆の苦労がよく伝わりました」「江馬氏や三木氏など、飛騨の武将が富山に進出していたことや、上杉謙信と飛騨とのつながりについて興味深く聴けました」といった感想が寄せられました。

講座の様子(1)

講座の様子

講座の様子(2)

講座の様子

講座の様子(3)

講座の様子

講座の様子(4)

講座の様子

講座の様子(5)

講座の様子

講座の様子(6)

講座の様子