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飛騨ふるさと種蔵村集落MAP No.4 板倉を含む風景

印刷用ページを表示する掲載日:2025年2月28日更新

たなだろご

板倉を含む風景

itakura

 

種蔵地区には数多くの板倉があります。昔、長雨や日照りによる不作が続き、宮川村では多くの人々が飢饉に苦しみました。安永9(1780)年からの6年間、毎年飢饉が起こったことが知られています。明治になっても、明治30(1897)年以後100年間に10回もの飢饉が発生しています。当時の生活は自給自足に頼っていたため、飢饉が起これば今日明日の食べ物だけでなく、翌年の種さえ不足しました。板倉は、食用収穫物と共に種を保存し、この厳しい状況を乗り越えるために建てられたといいます。

古文書には、飢饉が続く中、「棚倉(注:この地の古名)では種だけは確保し、他の村にも配ったため、外村の人々はこの棚倉を種の蔵と呼ぶようになった」と記されています。すでに建っていた板倉に蓄えられた種が周りの集落にも配られ、喜んだ人々が棚倉を種の蔵と呼ぶようになりました。そして次第に、この集落を「種蔵」と呼ぶようになったと考えられます。

板倉を含む風景

板倉風景

たな 愛知県立芸術大学・青山学院大学学生協同・コミュニティ情報継承研究会

『この活動は「2024年度岐阜県棚田地域水と土保全基金事業(若い力で元気創出ふるさと支援事業)」を活用しています。』

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