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姉小路氏城跡が国史跡に指定、傘松城跡が国史跡江馬氏城館跡に追加指定!

印刷用ページを表示する掲載日:2024年2月26日更新

国は、2024年2月21日(水曜日)の官報において、飛騨市内にある姉小路氏城跡の史跡指定、および江馬氏城館跡への傘松城跡の追加指定を告示しました。
この結果、飛騨市内における国史跡の件数は2件13城館になりました。

姉小路氏城跡について

姉小路氏城跡にかかわる事業の目的

飛騨市古川町には、中世に朝廷より飛驒国司として任じられた「姉小路氏」、その後に南飛騨から勢力を伸ばし姉小路氏の名跡を継いだ「三木氏」、羽柴(のちの豊臣)秀吉の命を受けて飛騨を統一した「金森氏」という3つの勢力が移り変わった様子の分かる山城群が残っています。飛騨市教育委員会では、この「中世の飛騨の歴史を物語る城跡」の史跡指定を目指して、平成29年より調査を継続してきました。

姉小路氏城跡

古川城跡の石垣

文化財の種類:史跡
文化財の名称:姉小路氏城跡(あねがこうじししろあと)
時代:室町時代
所在地:飛騨市古川町高野(たかの)字城山(しろやま)1861番地1 外120筆等
面積:857,234.61平方メートル

概要

姉小路氏城跡は、古川城跡(ふるかわじょうあと)・小島城跡(こじまじょうあと)・野口城跡(のぐちじょうあと)・向小島城跡(むかいこじまじょうあと)・小鷹利城跡(こたかりじょうあと)の5つの城跡の総称です。
14世紀後葉に飛騨国司となり三家に分立した姉小路氏が、中世飛騨国の中心地である古川盆地の、各々の拠点に築いた中世山城群です。後に同地へ進出する三木氏(みつきし)や金森氏(かなもりし)の手による改修の跡も良好に残り、中世飛騨国の変遷過程を物語る山城群と言えます。
これらの城館群は良好な遺構の残存状況に加え、山城の構造の変遷から飛騨地域の歴史的変遷を読み解くことができる点が評価されます。

野口城跡の畝状空堀群

姉小路氏城館跡調査指導委員会 委員長 中井均 氏(滋賀県立大学名誉教授)のコメント

姉小路氏城跡の5城は、飛驒国の戦国時代の公家大名の姉小路氏による築城や三木氏による改修から、秀吉の命を受けて飛驒に入った金森長近による近世城郭への改修が非常によく分かる山城跡である。このように中世から近世に至る城郭の変遷が分かる点は、日本の地域支配の在り方の縮図とも言え、国の史跡にふさわしい。
これまで飛驒市に大切に守られきた姉小路氏城跡が今後保存され、国の宝として活用されることが大いに期待される。

史跡江馬氏城館跡について

史跡江馬氏城館跡

文化財の種類:史跡
文化財の名称:江馬氏城館跡(えましじょうかんあと)
下館跡(しもやかたあと)、高原諏訪城跡(たかはらすわじょうあと)、土城跡(どじょうあと)、寺林城跡(てらばやしじょうあと)、政元城跡(まさもとじょうあと)、洞城跡(ほらじょうあと)、石神城跡(いしがみじょうあと)、傘松城跡(からかさまつじょうあと)
時代:室町時代
既指定所在地:飛驒市神岡町殿字中通り573番地1 外439筆
追加指定所在地:飛驒市神岡町吉田(よしだ)字宮ヶ洞3086番地 外58筆
面積:10,714,037.47平方メートル(うち466,271.34平方メートルが追加指定)

概要

江馬氏城館跡は居館であった下館跡と6つの山城からなる史跡であり、昭和55年に国史跡に指定されました。傘松城跡も江馬氏関連の城館であり、歴史的価値が高いとして、追加指定の対象になりました。
江馬氏は鎌倉時代から安土桃山時代まで北飛驒を中心に所領を持った一族です。
傘松城跡は、周辺の城館や街道、集落を見下ろす位置にあり、領域支配の拠点的な役割を担っていたと考えられます。

傘松城跡の横堀

江馬氏城館跡整備委員会 委員長 吉岡泰英 氏(元福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館長)

傘松城跡は巨大な堀切や土塁・曲輪等が残り、街道を押さえる重要な位置にある。その軍事性の高さから、江馬氏の拠点の中でも特に重要な山城と言える。
その価値が認められ、国史跡として将来へ伝えていくことができるのは大変喜ばしい。

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