ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
飛騨市移住・定住サイト 飛騨に暮らす > 木工職人を目指して飛騨へ ~堅田さん~

木工職人を目指して飛騨へ ~堅田さん~

更新日:2022年12月12日更新印刷ページ表示

大阪から飛騨へ!

日本一の家具生産地、飛騨で学びたいという思い

2014年OPENのカフェで明るくインタビューに答える堅田さん

店内は明るい雰囲気

店内は明るい雰囲気

2014年OPENのカフェで明るくインタビューに答える堅田さん店内は明るい雰囲気
堅田恒季さん。奥様、長女の家族構成。大手家具製造会社勤務を経て、夢だった工房とカフェの開店のため、2002年に移住、独立されました。
ー飛騨とのご縁は元々あったんですか?
いえ、大阪の出身で大学も経済学だったんですが、子どもの頃からインテリアや模様替えに興味があって、家具作りを職にしたい!という思いが強かったんです。大学卒業後、気付いたら日本一の家具作りの地・飛騨へと車を走らせていました。そして、大手の家具製造会社に勤務して木工職人の道を進むことになったんです。

独立という夢に向かって

飛騨の方々のオープンな風土に助けられました

自慢の工房で働く堅田さん

独立という夢に向かって

自慢の工房で働く堅田さん手作りの木工製品がお店に並ぶ
ー独立を決意されたきっかけはあるのですか?
前の会社では、仕事以外に、仲間とキャンピングカーでフェスやイベントの際にカフェの移動販売などしていたんですが、ある時から副業禁止になって、つまんないなと(笑)。だったら自分で独立して楽しいことをやろうと思いました。それで工房とカフェを自宅でやるという夢に向かい始めたのですが、家探しにはホンマに苦労しましたね。そんな時、事情を知っていた友人が飲みに行った先で今の大家さんにたまたま出会い、話をしてくれたんです。飛騨の人の、外の者も受け入れてくれる風土に感謝しています。

夢はすぐには手にすることはできない

靴もラジカセも売りました

ここまでの苦労と努力を思い出しながら語ってくれた堅田さん

ここまでの苦労と努力を思い出しながら語ってくれた堅田さん

ここまでの苦労と努力を思い出しながら語ってくれた堅田さん
ー飛騨古川のしっとりした町並みになじんで、木工細工が素敵なカフェですが、工房やカフェはどれくらいで軌道に乗りましたか?
いやあ、最初は苦労ばっかりですよ。食べていかなくてはいけないので、何でもやりました。アパレルでも靴でもラジカセでも何でもオークションで売りました。あとトレーラーの平台を買って、隣町でカフェ&牛玉焼きやったり。工房が軌道に乗ってきたのは、この3年くらいですかねえ。2014年の1月には念願のカフェも開けました。まあ、妻には苦労をかけっぱなしですけどね。

その土地に一歩踏み込んでみてください

ゲストハウス制度など身近にあります。ぜひ経験を。

「お店にも気軽に来てください」と笑顔で語る堅田さんご夫妻

「お店にも気軽に来てください」と笑顔で語る堅田さんご夫妻

「お店にも気軽に来てください」と笑顔で語る堅田さんご夫妻
ーこれから飛騨市に移住しようと考えている人にアドバイスをお願いできますか?
やっぱり、通り一辺倒の旅ではなくて、ゲストハウスに泊まってみるとか、市内の会社((株)美ら地球※ちゅらぼし)が実施している「里山サイクリング」に参加してエリアを実感してみるといいんじゃないでしょうか。地元の主婦がよく行くスーパー「ママショップうえの」に行ってみるのもいいでしょう。飛騨という町に、一歩踏み込んでみると、町の人の優しさに触れることができると思います。意外な出会いやご縁が待ってるかも知れませんしね。私たちも先人として、もっともっと住みやすい飛騨市にしていきたいですね!