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古川祭の歴史に関する第1回市民講演会

印刷用ページを表示する掲載日:2023年2月3日更新

2月1日(水曜日)古川町公民館

平成28年に古川祭がユネスコ登録されたことから、市教委は昨年9月、古川祭史編集委員会を立ち上げて祭りの歴史を調査しています。今回の講演会は福井重治委員長と本永義弘副委員長がそれぞれ「江戸時代の杉本大明神祭礼」「天保2年(1831)の祭礼の様子」と題してこれまでの調査結果を発表、約80人が来場しました。

福井委員長は金森時代、天領時代、明治時代に分類して古川祭の歴史をひもときました。増島城下に杉本社が遷座された金森時代の祭礼の状況を報告後、古川祭に関する詳細な記録を残したとされる近江の僧・林篁(りんこう)について紹介。林篁は1782年、古川を訪れた際に著した俳諧紀行「飛騨美屋計(みやげ)」の中で古川祭が8月6日に行われ、9台の引き山(祭り屋台)があったことなどを紹介。福井さんは古川祭に関して「飛騨美屋計に掲載された俳句とセットで検証する必要がある」と話しました。

また、宮本の上北村には町場と異なる祭礼行事が伝わり、1825年の「杉本大明神祭礼願」には現在も続く神前神楽や獅子舞ほか「俄(にわか)・踊」の記述が残っているそうです。俄は即興の演芸で「松坂踊り」とともに村内の若者らが奉納していました。また、白虎台屋台のせり出しで演じられる子ども歌舞伎のように、当時、屋台上で子どもが芸をすることは普通に見られ、上北村では神社境内で子ども踊りが行われたといわれています。

一方、本永副委員長は1831年の「定式」(現在の屋台主事らが行う調印式)に関する史料に、当時、古川祭は「秋祭」として旧暦8月に行われ、明治20年から「春祭」になった点が、また、明治3年の「上北村後風土記書上帳」に見られる記述として、古川祭は古くは「御神輿」「祭り屋台」「起し太鼓」が一体となって行列を成し、屋台に続いて2台の神輿が加わった時期があったことなどを報告しました。

同委員会では調査結果は書籍にすることにしており、今回の調査を最初で最後にしたいと資料集めに東奔西走しています。市民の皆さまにも協力を呼び掛けているので、資料などお持ちの方は文化振興課(0577-73-7496)へご連絡ください。なお、市教委では調査内容に関して、今後も定期的に報告することにしています。

 

講演会の様子(1)

講演会の様子(1)

 

講演会の様子(2)

講演会の様子(2)

 

講演会の様子(3)

講演会の様子(3)

 

講演会の様子(4)

講演会の様子(4)

 

講演会の様子(5)

講演会の様子(5)

 

講演会の様子(6)

講演会の様子(6)