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旧遊郭・若松家(旧深山邸)の見学会が開かれました

印刷用ページを表示する掲載日:2023年2月27日更新

2月25日(土曜日)旧遊郭・若松家(旧深山邸)
 

神岡街歩きガイドと市が、かつての遊郭の面影を色濃く残す建物「旧遊郭・若松家(旧深山邸)」の見学会を開催しました。

鉱山の町として栄えた神岡町には、明治40年ごろに通称「船津宮下遊郭」があり、同町船津の花柳界も昭和20年ごろ~昭和30年代には最も栄えていたそうです。同施設については、これまで「なりきり花魁体験」などのスポット的なイベントを開いたり、街歩きガイドの皆さんが町歩きの際に紹介するなど、神岡町の魅力の1つとして活用されてきました。現在は、市が譲り受けて管理しています。

今回は、この施設について皆さんにより深く知ってもらい、今後の幅広い利活用につなげたいと見学会を企画。来場者には、ガイドの皆さんから神岡町の歴史や施設の特徴などを詳しく学んでいただき、今後の活用についての意見や要望をうかがおうと開催しました。

当日は、来場者4~5人につき1人のガイドさんが付き、施設内を約20分かけて案内しました。鉱山の繁栄にともない急速に人口が増えたにもかかわらず、遊ぶ場がなかったために花街ができて盛んになった経緯や、当時は周辺に11軒ほどの遊廓があったこと、今も近くを歩くと2階の出格子などが周辺の家とは少し違う造りの家があって、当時のなごりを残していることなどを紹介しました。

また、客同士が顔を合わせないよう建物裏にも出入口が設けられていたこと、店を取り仕切る「遣手婆(やりてばば)」が、客が裕福か否かを見極めたり、客引きなどをおこなっていたなどと説明。窓の無い1畳ほどの狭い部屋に2人の遊女が住んでいたこと、遊女が外へ出たり逃げたりできないよう建物内の階段が狭く急傾斜になっていたり、監視されていたことなども紹介しました。

来場者はガイドの話を聞きながら、興味深そうに施設内を見学していました。訪れた同町の巾夕利子さんは「神岡の昔の建物がそのまま残っていて、歴史を感じることができました。また、説明を聞いて神岡の歴史を勉強することもできて良かったです」と感想を話していました。
来場者を案内したガイドの吉村修一さんは「建物は廃れていくばかりですが、この建物は原型に近い形で残っています。鉱山とともに栄え、どう利用されてきたかを知っていただきたい」「神岡には他の市町村では見られないものがあります。町をPRしながら、いつも観光客が歩いているような町にしていきたいです」と話していました。

見学を終えた来場者には記念品として、この日のために用意した「御郭印」を、利活用に関するアンケートに回答した人には、若松家のイラストを配したオリジナルステッカーがプレゼントされました。

 

見学会の様子(1)

見学会の様子(1)

 

見学会の様子(2)

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見学会の様子(3)

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見学会の様子(4)

見学会の様子(4)

 

見学会の様子(5)

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見学会の様子(6)

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見学会の様子(7)

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見学会の様子(8)

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見学会の様子(9)

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見学会の様子(10)

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見学会の様子(11)

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見学会の様子(12)

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見学会の様子(13)

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見学会の様子(14)

見学会の様子(14)