6月18日(水) 市役所
古川祭の歴史や史料などをまとめた書籍『古川祭史』の令和9年春の発行に向けて調査・研究を進めている飛騨市古川祭史編集委員会が、これまでの調査の成果を報告する「第6回古川祭史市民講演会」を市役所で開きました。前回に引き続き「古川祭の屋台」をテーマに講演がありました。
委員長の福井重治さんは、飛騨地域の祭りで行われた奉納行事などのリストを示し、「代官所などへ提出する祭りの許可申請の書類には俄踊(にわかおどり)や花踊などの記載が多く見られ、芸能が盛んだった様子がうかがえます」などと説明。「かつて屋台は芸能を行う舞台の意味合いが強く、雨が降っても合羽をかけてその場に置いておいたようです。簡素なものだったのでは」などと推察しました。また、屋台が人を喜ばせたり饗応に用いる役割へと変化したことで、徐々に装飾が豪華になっていったのではと話しました。
副委員長の本永義博さんは、各屋台に施された彫刻の特徴を紹介しながら「彫刻の多くを、井波彫刻をはじめ富山県の彫刻師が手がけているのが古川祭の屋台の特徴」だと指摘しました。また、台輪が特に重要視され、屋台制作の数年前からまっさきに手配されていたと紹介。かなり摩耗した車輪の写真なども示し、摩耗した部分に木を継ぎ足したり、かすがいを打って補強するなど何度も修復して大事に使われていた様子を説明しました。高山の屋台が下呂市へ、からくり人形が飛騨市へ譲り渡され、現存している事例があることも紹介しました。
講演を聞いた青龍臺木偶保存会の佐藤彰会長は「昔からの移り変わりがよく分かって面白かったです。車輪があんなにいびつになるまで使われていたとは。昔は屋台が神様を先導したと聞いたことはありましたが、本当だったんだと分かり面白かったです」などと感想を話しました。