9月25日(金曜日) 市役所
飛騨市が保管している、江戸から昭和中期にかけて作られた行政資料や受け継がれてきた歴史資料などの価値や面白さを広く知ってもらい、これらの資料の適切な保存と有効活用につなげようと「歴史的公文書・市民講演会」が開かれました。
市には歴史的価値の高い公文書や歴史資料が多数保管されていますが、その全容がつかめておらず、永年にわたる保存環境の整備や閲覧に向けた対応が課題となっています。これを受け、調査を進めて資料の全容を把握し、適切な保存や公開、利活用に向けて検討を行う調査整理事業を今年度から本格的に始めました。
今回は、数多い公文書の中でも市民の関心度が高い「飛騨の糸引き工女」をテーマに開催。飛騨市歴史文化調査室の調査員を務めている田端徳弘さんが講師となり、さまざまな公文書を読み解きながら、製糸産業の盛衰、工女採用や労働環境の規律を正す組合の設立、行政や企業による対応の変遷などを解説しました。
田端さんは資料を紐解きながら、日本の製糸産業の国際的な発展を背景に、旧吉城郡でも明治後期から大正期にかけて出稼ぎ人数が大幅に増え、明治36年から同44年の8年間で倍増し、大正12年にはピークを迎えたと説明。当時、吉城郡内にいた工女適齢期の女性6,000人のうち42~43%が工女だったと紹介しました。
企業による工女獲得競争の結果、賃金や待遇の改善が図られていった一方、「等級賃金制」と「賞罰制」のもと毎日厳格な製品検査と職能評価を受け、工女間の賃金格差が大きかったこと、1日11時間以上の労働だったことなど、工女らが厳しい条件の中で日々奮闘していたと説明。工女獲得競争の激化により、保護者らへの接待の過熱や風紀の乱れが生じた経緯から工女組合が設立されたことも紹介しました。
古川町の倉坪茂登雄さんは「私の祖父が(全国でもトップクラスで製糸産業が盛んだった)岡谷で製材を学んでいたり、祖母が工女だったりと縁を感じていたので、そのあたりを知りたいと受講しました。資料がすごかったし、勉強になりました」と話していました。




