一度に複数のことを並行処理する、マルチタスク。一つのことに集中しがちな人にとっては、特殊能力といっても過言ではありません。マルチタスクが必要とされる職業の一つが、今回取り上げるバスの運転士です。安全運転を大前提に、乗客への気配りから車内アナウンスまでを幅広くこなします。今回は、濃飛乗合自動車株式会社(濃飛バス)で働くバス運転士歴16年の坂下達司さん(写真右)、1年目の櫻枝和真 さん(写真左)に、運転席から見ている景色の一部を共有してもらいました。
──どの路線を担当されていますか?
坂下さん:高山営業所、下呂営業所、神岡営業所の3つの中で神岡営業所に所属しており、基本的には飛騨市内の路線を担当していますが、応援で平湯・新穂高線や上高地線、乗鞍線、白川郷線などの観光路線を走ることも度々あります。
──櫻枝さんは今年5月にバス運転士として、ひとり立ちされたばかりとか。
櫻枝さん:はい。お客様の命を預かる緊張感を日々感じています。第一に安全運行を全うしながら、地域の方とより良い関係を築くにはどうしたらいいか手探りの毎日です。
──ひとり立ちに至るまでに、どのような道のりがあったのでしょう?
櫻枝さん:大型自動車第二種免許の取得後、約1か月間の指導を受け、空車での試験に合格したのち、実際にお客様を乗せての試験を受けました。
坂下さん:3〜4名のベテラン運転士に厳しくチェックされる難易度の高い試験ですが、櫻枝は見事に一度で合格したんですよ。
──すごいですね!どんなポイントを指導されたのですか?
櫻枝さん:ブレーキのかけ方から、歩行者との安全な間隔、運転の悪い癖まで、一つひとつ指導してもらいました。
坂下さん:ブレーキひとつとっても、お客様に停止の反動を感じさせないためにはコツが必要です。自動車を運転される多くの方は停車するとき、ブレーキを踏み続けると思いますが、私たちバス運転士は、停止の直前で一瞬ブレーキを緩めショックを低減させます。このように、安全かつ乗り心地を意識した運転を徹底的に指導し ます。一日の中でワゴン車から大型バスまで2〜3台を乗り換えながら仕事をするため、車種ごとに運転の仕方を切り替え、快適な乗り心地を確保するのも重要なポイントで す。
──仕事の難しさは何ですか?
坂下さん:道路の状況に加え、乗車中のお客様の行動、バス停に立っているお客様の様子、運行時間、アナウンスの内容、すべてに気を配りながら同時並行的に対応する点です。
櫻枝さん:バス停でバスを待つ方は、その時点から私たちのお客様です。例えば、バス停に杖をついたお客様がいらっしゃったら、「ニーリング」という車体を傾ける機能を使い、乗車しやすいように乗り口の位置を下げます。満席の場合、年配の方が立ったままで走行中に転んでお怪我をされたらいち大事なので、他のお客様に席を譲ってもらえるよう促す配慮も必要です。
坂下さん:乗り降りの際、特に年配の方や、小さいお子さんをお連れのお客様は慌てがちなので「ゆっくりで大丈夫です」と声をかけることで安全な乗降車を促しています。さらに走行中、お客様が席を移動して転ばないよう注意喚起も欠かせません。
──お客様に目を配りつつ車内アナウンスもして…… 頭が混乱しそうです。
坂下さん:安全のためのアナウンスに加え、観光路線では、絶景スポットや土地の歴史を紹介します。上高地線の例だと、大正池について、焼岳の噴火により誕生した池だと説明したり、水鏡の美しさを紹介したり。話しながら狭い山道を走るので神経をつかいますね(笑)。山岳教習では、このように飛騨地域や隣接する地域の魅力を伝えつつ山道を安全に走る技術を身につけます。単なる移動手段の提供にとどまらず、プラスアルファの価値をお客様に届けたいという思いがあるからです。
──地域ならではの教習は、山岳教習に加え雪道教習もあるとか。これからの季節、降雪による不測の事態も増えそうです。
坂下さん:はい。よくあるトラブルの例として、上り坂で後輪が滑って前に進めなくなる事態が挙げられます。 その場合、タイヤにチェーンを巻くのですが、お客様をお待たせしている状況でも焦らず迅速に対応できるよう訓練します。
──坂下さんのようなベテランだと何分で完了させるのですか?
坂下さん:基本的には5〜8分で完了させるようにしています。収納箱の中でチェーンが絡まるとその分時間がかかるので、取り出しやすいよう準備しておくのがポイントです。 雪道に限らず、我々運転士はトラブルに備え、特別な訓練を受けて判断力を磨いています。
──厳しい訓練により、乗客の安全を守っているのですね。地域密着の仕事だからこその思いをお聞かせください。
櫻枝さん:私は古川町出身で、地域の役に立ちたいという思いで地域活動が盛んな吉城高校に入りました。在学中ボランティアなどを通して地域の方と関わるなかで「地域の足になりたい」という思いが芽生えたんです。挨拶をすれば当たり前のように挨拶が返ってくる、温かな風土。豊かな自然。大好きな地元で、地域の皆さまから愛される運転士へと成長していきたいです。
坂下さん:私は神岡生まれ神岡育ちなのですが、大切な故郷を未来へとつないでいくには、公共交通機関の存続は必須と考えています。そのためにも、櫻枝のような後進を育てることに注力するのみです。
私たちがのんびりバスに揺られ、うたた寝したり景色を眺めたりしているなかで、バス運転士はさまざまなことに神経を張り巡らせながら、私たちを運んでくれているとわかりました。その背景には、ベテラン運転士による厳しい指導、そして何より、教えを吸収して地域に貢献したいという若手運転士の思いがあります。 仕事への思いを実直に語る櫻枝さんの隣で、時折ユーモアを交えながら場を和ませ、言葉を補う坂下さん。若手とベテランの温かな関係が、地域を未来へとつないでいくのだと実感しました。
市民ライター 三代知香