文/オカダ ミノル 絵/波岡 孝治
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃそんそん」。
「ええじゃないか」の民衆運動に、端を発すると言われる阿波踊り。そのご機嫌な掛け声じゃないが、世にはさまざまな類(たぐい)の祭り男に祭女ってぇのも存在する。それこそ祭囃子が聞こえて来ようものなら、居ても立ってもおられず、体中の血が滾(たぎ)ってしまい、手の施しようもないなんてぇ、そんな向きもおいでのはずだ。今日ご紹介する飛騨の祭り男は、祭囃子の代わりが、子ども達の甲高い賑やかな声だと言う、いささか変わり種だ。
「子どもらが、ぼくのキッチンカーの前に屯(たむろ)して、『ポン菓子にしようか、みだらし団子にしようか、それとも有り金叩いて高価な物にするかぁ?』ってな調子で、あれこれ品定めしながら、悩んどる顔を見るのが、とんでもなく大好きなんやさ」。神岡町のポン菓子屋本舗、下出明己さん(73)だ。「昭和半ばにぼくらが育った、子どもの頃とまったく一緒なんやさ。世は平成から令和へと移ろってまったけど、子どもらの表情は昭和半ばのあの頃と、なぁ~んも変わっとれせん」。下出さんは子どものように嬉々とした表情を浮かべ、とても愉快そうだ。
下出さんは農家の次男として、昭和28(1953)年4月6日に誕生。「とは言え長男は、生まれて直ぐに亡くなっとるんやさ。だで、実際には姉とぼくの二人姉弟。戸籍上は次男やけど、実質は長男やねぇ」。昭和47(1972)旧船津高等学校を出ると、岐阜市加納にあった自動車販売会社で経理事務の仕事に就いた。それから5年。23歳になると新車中古車販売の営業へと異動。その4年後の昭和55(1980)年には、垂井町出身の妙子さんと結ばれた。「女房はぼくと同じ自動車販売会社に、ぼくが営業に異動してから入って来たんや。だから書類を届けに行ったり来たりしとって、互いに顔は見知っとったんやさ」。
二人は神岡町の大津神社で、三々九献を交わし結ばれた。そして2年後の昭和57(1982)年に長女が誕生し、次いで次女三女と三姫に恵まれた。
一方仕事の方では、昭和59(1984)年に自動車販売会社を退職。写真現像会社へ転職し、町のカメラ屋さんからフィルムを受け取り、現像後に再びカメラ屋さんへと配達する、ルート営業を担当。
しかしその翌年。「女房が膠原病のリウマチを患って、入退院を繰り返すようになったんやさ。ちょうど次女を出産した後から、熱が出る日が続くようになって」。そして時代は、昭和から平成の世へと。「このままやと、女房も大変やし、なんせぼくは長男やで、家族皆で神岡へ戻るかって」。神岡での就職先探しに追われた。「鉄鋼を裁断する、裁断砥石の芯を作る、研磨資材の会社に入ったんや。そりゃあもう3Kとか5Kと呼ばれるくらい、大変な仕事やったんやさ。防塵マスクが手放せん様な」。下出さんはそれでも、なんとしても家族との新しい神岡での暮らしを守らねばと、5年間勤め上げた。
「元々、自動車販売会社で車の登録をやっとったんや。そしたら昔の仲間から『今度、飛騨ナンバーが出来るで、岐阜県自動車登録事務所の代行センターで、新車登録の代行事務を、おめぇやってみんか?どや!』って言われて。それやったら昔取った杵柄やで『なら、俺に紹介してくれ』って口を利いてもらったんやさ」。まずは高山の飛騨の里で面接。そして岐阜市で3ヵ月間、単身で研修へ。そして高山へ戻り、登録事務所の開設準備に追われた。平成3(1991)年10月、飛騨自動車検査登録事務所が開設され、新たな飛騨ナンバーが誕生した。「高山市、飛騨市、下呂市のエリアが担当地域で、新車登録の代行が始まったんや。でも飛騨ナンバーの登録台数ってぇのが、日本各地の中でも一番少なかったんやさ」。下出さんが懐かしげに笑った。それから60歳になった平成25(2013)年に定年を迎え、そのまま雇用延長で65歳の平成30(2018)年まで勤め上げた。「実は、退職する前から、退職後に何をしようかと、ずっと考えてとったんやさ。こんな性分やし、じっとなんてしとれん。そう考えとって閃いたのが『ポン菓子』。元々神岡は田舎過ぎて、ポン菓子のオッチャンすら来んかったんやさ。まぁ、子どもの頃の憧れみたいなもんもあったんかなぁ。そんなある日、女房と見とったテレビの韓ドラに、ポン菓子の実演シーンが出て来て。オモシロそうやなぁ、それにこれやったら小資金でも出来そうや。なら一丁やって見ようかって」。YouTubeで調べ、さっそくポン菓子製造機を九州のメーカーから購入。「ポン菓子製造機の圧力釜から周辺の器具、それに気圧計なんかの部品を取り寄せ、YouTubeで組み立て方を見ながら、自分で組み立てたんやさ」。退職を1年後に控えた64歳にして、下出さんは第2の人生のウォーミングアップを開始した。「ところが!試作の1回目は大失敗。ポン菓子が辺り一面に飛び散ってまって。まぁ、5~6回はとんでもねぇことになって。圧力釜を加熱しすぎてもあかんし、加熱が不足してもあかん。それに圧力釜と一緒に、気圧計もグルグル回るもんやで、気圧計の針を確かめるのに、こっちも目が回ってまうんやさ」。その日の気温や天候にも左右され、その微妙な塩梅の勘所が求められた。そして定年を待って、下出さんの第2の人生が、ポン菓子が爆ぜる「パッカーン」と言う、大きな爆音と共に始まった。「最初の頃は女房に手伝ってもらって、スーパーの駐車場を借りて、テント張ってポン菓子機を設置して。そこで実演販売しとったんやさ。ボン菓子は、白米と玄米の2種類。でもポン菓子機自体がとんでもなく重たいもんやで、そうそう簡単にあっちこっちへ一人では持ち運べんし、年々歳とって来るとその力仕事が負担になってまって」。折しも世は、コロナ禍の席捲に大きく揺れていた。そして令和4(2022)年、軽トラのキッチンカーを購入。「キッチンカーやったら、コロナでも営業が出来たもんやで。それで昔からやりたかった、みだらし団子がメインの、実演販売を始めたんやさ。なんでみだらし団子かって?そりゃあ昔、テレビで水戸黄門見とると、峠の団子茶屋なんてぇのが出るシーンがあったやろ。あれ見とって、団子屋やってみてぇなぁと思っとったんや。でも飛騨は団子屋が多すぎて、商売敵ばっかりなんやさ。それで最初は思いとどまって、ポン菓子一本でやったんやけど、キッチンカー購入した時から、団子をメインにしたんや」。フェイスブックで、キッチンカーでたこ焼きの実演販売をする人物とも知り合った。そして年下ながらその人物を先輩と崇め、彼の実演販売の遣り口をこっそり学び取った。「師匠は固定客をとにかく大切にされる方で、人当たりが良くって誰にでも優しいんやさ」。下出さんは知り合いの紹介で、キッチンカー協会にも入り、飛騨一円や富山へと軽トラを走らせる。「そう言えば、キッチンカー協会の仲間たちと、輪島の復興支援にも行ったんやさ」。
下出さんのみだらし団子は、もちろん飛騨の醤油味だ。「団子自体も色々食べ比べ、『これや!』ってぼくが旨いと思った、もちもち食感の団子を仕入れ、醤油も団子専門の醤油を取り寄せて」。それが下出さんのこだわりだ。冷凍のまま串に打たれた団子が、焼き台の上に30本並べられ、こまめに串を回して焦げ目を付け、醤油に潜らせ焼き上げる。焼き上がりまで約10分。「目の前で焼けるのを待ってくらはっとるお客さんと、串回しながら『まめなかなぁ』とか、『おめ、久しぶりやなぁ』とか、他愛ない話しやけど声掛けて、そんなやり取りをしながら、少しでも待ち時間を、短く感じてもらいたいんやさ」。各地のイベントや花火大会などに出店すると、開店と同時にあっと言う間に長蛇の列が!「最初の頃は、長い列が出来て、お客さんが待ってくらはっとると、お客さんと目を合わすのが、なんや怖かったんやさ。でも今は逆で、次から次へと串を回して、てんてこ舞いしとる様な、そんな忙しさが気持ちよくって。列を成して並んどる姿を見るのが生き甲斐!だから会場に向かいながら、『今日も俺の団子を、皆待っとるぞ~っ!』ってな感じやね」。花火大会などの日は、最大400~500本の団子を焼き上げる。「ぼくのキッチンカーの前で、子どもらが何にしようかと、悩んどる顔を見るのが大好きなんやさ。きっとぼくも子どもの頃、彼らと同じ顔して、わずかな小遣い握り締めとったんやろなぁと。そう言えば駄菓子屋のオバチャンに『おめ、ちっともよう決めんなぁ』って、昔よく言われたもんやった。だから子どもが『おっちゃん、お団子1本ちょうだい』って、掌に握り締めた小銭を差し出すと、たとえ勘定が合っていようがいまいが、『おおきになぁ』と受け取ってやるんや。だって健気で可愛らしいし。でも中には昔とは違って、スマホ出して『オッチャン、PayPayで!』って、そんな子らもおるんやさ」。下出さんが笑った。下出さんのキッチンカーのカウンターには、4種類の飴玉が常備されている。「『飴ちゃんどーぞ』って言うと、子どもらの目が輝くんやさ。兄妹で来てくれた子なんか『オッチャン、2つ貰ってもいい?』とか、『年齢制限無いで、お母さんもええよ』って言ってやったり。でも大忙しだった日に、飴ちゃんもスッカラカンで、『今日は、飴ちゃん無いの?』って、淋しそうに子どもに言われた時は、その言葉が心に突き刺さってまって。それからは多めに飴玉を積み込んどるんやさ」。下出さんのみだらし団子には、飛騨の醤油味に加え、唐辛子を振り掛けた大人向けの『団じゅう郎』もある。また自家製米でのポン菓子の他、自家製紅はるかの壺焼きも味わえる。
ポン菓子本舗のキッチンカーは、飛騨一円や富山へと、自慢のみだらし団子を積み込んで、週末の土日を駆け巡る。「夏のシーズンは、土日なんてフル稼働やさ。一期一会の逢瀬を求め、呆け防止でもあり生き甲斐やでね」。下出さんは、子どものような瞳で笑いこけた。
「紆余曲折の末、定年後に辿り着いた天職!」。今日は何処(いずこ)の空の下~ポン菓子携え、みだらし焼いて、飛騨の山々駆け巡る。天晴れ!飛騨のポン菓子屋本舗。
