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飛騨びと言の葉綴り~河合町・田口理子さん

印刷用ページを表示する掲載日:2026年4月15日更新

飛騨びとの言の葉綴り画像

文/オカダ ミノル 絵/波岡 孝治​

田口 理子(たぐちまさこ)さん

河合町『年に10日しか暖簾を出さぬばあちゃん食堂~お世話係り 田口 理子』

「河合町へ行かっさるなら、香愛ローズガーデンへ寄って、ばあちゃん食堂で田舎定食食べなはるとええよぅ!地元の野菜や山菜が一杯で、懐かしい味わいやで身も心もホッコリすんやさぁ」。そんなオバチャンの噂話を耳にしちゃあ、黙っているわけにもいかない。「でも年にたったの10日しか暖簾が出んで、よう確かめてからおいでなかんでねぇ」。年に10日の営業と聞いちゃあ、尚更是が非でも田舎定食とやらを拝まねば!すると「ところでオメエさん、こっちの方はいける口かな?」。オバチャンはやおら、左手の親指と人差し指を丸め、盃を持つように口元で煽って見せた。「お酒も飲まっさるんやったら、年に3日しかこれまた暖簾が掛からん、『スナックまさこ』ってぇのも愉しいよぅ。作り手ママとホールママと、二人もママさんがおらっさって、そりゃあもう賑やか賑やか!」。なんとも呑み助にゃあ、聞き捨てならぬ情報まで飛び出した。そうとあっちゃあ、もう居ても立っても居られない!

香愛ローズガーデンの2階へ上がると、既に店内は満席。「チラシの二次元コードで予約した者ですが?」。案内されるまま席に着き、「田舎定食」の登場を待った。しばらくすると大皿に盛り付けられた6品の副菜、それに朴葉寿司と吸い物がやって来た。「あと、野草茶はお代わり自由ですし、食後にはデザートとしてソフトクリームが付いてますから、ごゆっくり召し上がっとくれぇ」。これで締めて600円とは!諸物価高騰の世に現れた、救世主そのものではないか!

お腹も膨れ会計を済ませながら、次回の予約は出来ぬものかと尋ねて見た。すると「そーやねぇ、まだ来月の事はなんも決まっとらんのやけど、だいたい第2火曜日やないかなぁ?」と。この緩さが何とも心地よい。そう応えてくれたのが、今回の主人公。ばあちゃん食堂のお世話係、田口理子さん(74)だ。

理子さんは昭和27(1952)年に、旧河合村稲越の農家に6人兄妹の末子として誕生。斐太高校を卒業し、絹糸を製造する会社の事務方見習いとして就職した。「繭から絹の糸を機械で引くんやけど、その機械の操作が難しいてなぁ。この会社でお金貯めて、大学へ行きたかったんやさ」。ところが1年半が過ぎた頃、父が病を患い会社を辞すことに。「河合村の役場職員に採用してもらって、河合中学校の寄宿舎で、昼間は事務仕事をしつつ、夜は生徒のお世話をする舎監を務めさせてもらったんや」。雪の多い12月から3月一杯、寄宿舎に泊まり込み、生徒たちの食事の準備から洗い物、そして就寝まで生徒たちの相手をした。「そうやったなぁ。最初の頃は修学旅行気分やった子どもたちが、いつの間にか家が恋しくなって、ホームシックになった子もおったなぁ」。そんな舎監を1年半務めた。「昔から保育士になるのが夢やって、保育士試験を受けたんやさ」。昭和48(1973)年4月、理子さんは子どもの頃に抱いた保育士の夢を叶え、河合保育園で保育士として幼い子どもたちと向き合った。それから2年半後の昭和50(1975)年11月には、角川出身の雄二さん(72)と結ばれ一男一女を授かった。「保育士になった頃に、河合スキークラブを立ち上げた人がおって、わたしも仲間してもらったのがキッカケ。その頃主人は、名古屋の愛知国道工事事務所に勤務しとって、週末の半ドンを利用して、スキーやりに河合へ帰って来て、わたしら皆のアッシーしてくれとったんやさ」。皆のアッシーはやがて、理子さん専属の人生の伴走者となった。結婚の翌年9月には長女が誕生。「ハネムーンも立山へスキー担いで行ったんやさ!まぁ長女は、そん時のハネムーンベイビーやねぇ」。理子さんが恥ずかし気に笑った。「主人の実家の爺ちゃん婆ちゃんがおったもんで、子どもらの面倒を見て貰えて。そのお陰で、わたしは保育園に勤務させて貰えとったんやさ」。

平成16(2004)年、古川町、河合村、宮川村、神岡町の2町2村が合併し飛騨市が誕生。平成19(2007)年には、34年に渡り保育士として勤務した河合保育園を退職。ちょうどその年、理子さんの稲越にあった実家が、高山へと移転。「実家が空いてまって、田んぼ5反の内の2反を畑にして、残りの3反を蕨畑にして、わたしはそのお守役やさ」。それから4年。平成23(2011)年、河合町と宮川町の中学が、古川中学校に統合された。「中学がなくなると、町が益々疲弊して淋しくなってまう。河合をなんとか元気にしたい」。そんな想いを抱く者が集まり、同年河合町地域振興協議会を立ち上げた。「保育園の給食用に食材を提供する『豆菜会(まめなかい)』や、『子ども応援部会』に『親雪(しんせつ)部会』やらが出来たんやさ」。理子さんはその後も、さまざまな部会の活動に積極的に関わった。

そして令和4(2022)年11月、部会のメンバーの一人、板屋昌子さん(77)が呟いた。「地域交流サロンの中で、食事を出したり、ゆっくり食べてもらったり、皆で交流できる場があるとええなぁ。オラ、そーゆーのやってみてぇなぁ」と。それがキッカケとなり、板屋さんを中心に7~8人の仲間が集まった。それが「ばあちゃん食堂」の始まりだ。献立の考案から食材の手配など、厨房の切り盛りと調理は、言い出しっぺの板屋さん。「まぁわたしゃあ、ホールでお客様相手のお世話係り兼小間使いみたいなもんやさ」。現在1月~2月末まで、香愛ローズガーデンが冬季閉鎖となるため、3月~12月までの月に1日、年10日だけ、「ばあちゃん食堂」は開店する。開催日は概ね第2火曜日で、(1)11時30分~(2)12時00分~(3)12時30分~(4)13時00分~の1日4回の入れ替え制。定員は、1回に付き12~13名で完全予約制だ。毎回季節により献立は異なるが、肉や魚は使わぬ菜食中心の料理が振舞われる。「安価で安全安心、地の野菜やら山菜を使った、昔懐かしい田舎の味わいやねぇ。昔から飛騨の人らが食べておいでたであろう、そんな郷愁をそそる故郷の味。野菜もばあちゃん食堂のメンバーが作った物を持ち寄って!」。スタッフは全11名。調理が8人、ホールが2人、会計が1人。大賑わいの日は、1日で80名ものお客様を迎える。毎回献立は1種類だけ。概ね、大皿盛りの副菜6品と、季節で替わるご飯(味ご飯、鮎飯、おこわ、朴葉寿司など)にお汁、デザートのソフトクリームが付いて大人600円。小学生以下の子どもは500円ポッキリ。それと河合町の野草茶グループが作ったお代わり自由の野草茶付きだ。

「おいでる方はほとんどがリピーター。だからお客さんの名前まで覚えちゃってるんやさ」。ちなみに去年10月の献立「田舎定食」は、こんなラインナップだ。「みょうがご飯」「わらびの煮物」「わらびの生姜醤油」「くごみ(コゴミ)のごまあえ」「姫竹のふくめ煮」「あずきなのお浸し」「いも田楽」「きゅうりとみょうがの酢の物」「お汁」「漬物」「とうもろこしアイス」と、なんともヘルシーな痩せメニューである。「その代わり下準備が大変。手間が掛かるんやさ」。食材等の準備は前日から行われ、ばあちゃん食堂開店日は、朝8時30分に集合となる。理子さんの畑では、ジャガイモ、オクラ、トマト、ナス、ピーマン、南蛮、トウモロコシ、カボチャ、冬瓜、ソーメンカボチャ、サツマイモ、里芋が作られている。「食べて美味しいって言ってもらえたり、歓んでもらえると、作り手冥利に尽きるんやさ。安心して食べてもらえるように、化学肥料もなるべく使わんようにして。豆菜会とばあちゃん食堂で、野菜の需要も上がり、やり甲斐と生き甲斐が一緒になったようで愉しいよう」。理子さんの笑い声が、ホールに響いた。

「ところで、スナックまさこってぇのは?」と、呑兵衛として気になって気になって仕方なかった事を問うてみた。「スナックまさこも、ばあちゃん食堂から遅れる事ほんのわずかで始まったもんやさ。女衆は皆してよう来てくれるもんの、男衆が中々寄ってくれん。そしたら誰かが、『男衆を引っ張り出すなら酒やろう』って、そんなら酒出さまいかってなって始めたのが、スナックまさこやさ。アテの作り手ママの板屋昌子さんと、ホールママのわたしの理子を合わせて、Wまさこやで」。スナックまさこの開店は、不定期ながら年に3回。ちなみに昨年は、7月・8月・11月の第3土曜。会場はばあちゃん食堂と同じ、香愛ローズガーデンの2階。開店は18時00分、ラストオーダーが20時00分と、2時間ポッキリの時限スナックである。「まぁそりゃあ賑やかやでぇ。店内のBGMなんて掻き消されてまうくらい、まぁ喋り声がうるさくって!まぁそう言うわたしも、呑みながらホール担当しとんやさ」。20歳以上の老若男女が、年に3日の「スナックまさこ」で酔いしれる。「もともとは、河合町の若手の青年が、『皆で呑んで語り合える場があるとええなぁ』と、そんな一言から始まったんやさ」。一品物のメニューは、「枝豆、唐揚げ、おでん、鶏ちゃん」が一品300円~500円。ドリンクは、「ビール、生ビール、焼酎、ハイボール、日本酒」で、こちらは500円~600円。ソフトドリンクは、いずれも300円と明朗会計だ。「毎回大賑わいで、もっとやってくれんかって!だからまだまだ、元気のある内は頑張って続けるんやさ」。

老いも若きもが集い語らう、河合町のぬくもり溢れるソーシャルサロンだ。

今日も「子ども食堂」ならぬ「ばあちゃん食堂」や、「スナックまさこ」のファン達は、年に10日と年に3日、暖簾が掛かる日を一日千秋の想いで待ち焦がれているはずだ。

田口理子イラスト

 

田口理子写真