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山本久恵さん(古川町)

印刷用ページを表示する掲載日:2024年8月1日更新

飛騨びとの言の葉綴り画像

文/オカダ ミノル 絵/波岡 孝治​

山本久恵(やまもとひさえ)さん

古川町~量り売り専門店!おかずや山本「庶民の腹を満たして半世紀~現役 80 歳の看 板おばちゃん!」

お昼どきのこと。古川の弐之町を歩いていると、ハザードランプを点けた車列が!えっ、まさか渋滞?しばらく歩を進めてみると、渋滞ではなくどうやら買い物中のようだ。一体全体みんな何を求めて、小さな間口の店へと吸い込まれてゆくのだろう? そんな???のまま近付いてみると、お世辞にも洒落ているとは言えない、飾り気のない看板に、「おかずや山本」と明朝体の文字が!まるで押し競まんじゅう状態の店内へと、恐る恐る足を踏み入れてみた。ラッシュアワーの通勤電車さながらである。店内には、ざっと30種類ほどのおかずがドドーンと居並び、客はフードパックを片手に、煮ものやら唐揚げなど、お好みのおかずを好きな量だけ、好きなように詰め込んでいる。「おばちゃん、ぼく今日はこれと、あと白いご飯ねっ!」。サラリーマンらしき若者が、 フードパックにメガ盛りのおかずを差し出した。するとおばちゃんは、手際よくラップで包んで目方を量る。続いて白い食品トレーに、これまたメガ盛りの白いご飯が登場!「今日は480円。いつもおおきになぁ。内緒やけど『ことりちゃん』1個おまけしといたで」。ええっ! その、おまけの『ことりちゃん』って??? 雀かなんかの姿焼き???それはともかく、あんなに数々のおかずとご飯のメガ盛りで、たったの480円って!

ちょうどぼくも、どこぞでそろそろお昼でもと考えていたところだ。ええ~いっ、こうなったら郷に入っては郷に従うしかない!店内に居合わせるお客さんに紛れ込み、その作法を真似、フードパック片手にまずは品定め!どれも素朴な家庭料理のおかずが居並び、ついつい迷い箸ならぬ迷いトング状態。お客さんを掻き分けながら、ぼくの胃袋とも相談しつつ、気になるおかずをフードパック へと詰め込んだ。 そして先客を真似、「おばちゃん、ぼくはこれと、白いご飯の小盛を!」と、ビギナーらしく謙虚に申し出た。するとおばちゃんが、量りの針ならぬデジタル表示を眺め、「350 円やね~っ」と。「なに~っ!」、一瞬我が耳を疑った。ぼくのフードパックには、から揚げが2個、ぜんまいの煮ものに、椎茸煮とこも豆腐の煮物、それにマカロニサラダまで入っていると言うのに!確かにさっきの若者サラリーマンのメガ盛りには、到底足元にも及ばないものの、種類も豊富なテン小盛りだと言うのに!「家はどれも量り売りやでねぇ」。白いご飯の小盛には、お漬物まで添えられていた。

その後、公園のベンチに陣取って、おかずや山本のランチタイムと洒落込んだ。どれもこれも素朴な美味しさ。あっと言う間にペロッと完食。お腹一杯。しかしこんなに贅沢なランチで、今どき350円とは?どうにもこーにも気になって気になって。それと、あの『ことりちゃん』って隠語も、妙に気に掛かる。 お昼時のラッシュアワーが引き切る頃合いを見計らって、もう一度おばちゃんの元へ。

「家は開店から半世紀以上、ずっと量り売り専門のおかずやなんやさ」。弐之町にある「おかずや山本」の看板おばちゃんこと、山本久恵さん 80歳である。 おばちゃんは、昭和18年に高山市で誕生。しかしおばちゃんが8歳の年。「母が出てってまって」。両親が離婚。それから4年。今度は父が他界した。「それからは、兄と私の二人暮らしやったで、ご飯もみんな私がやわわなかんもんやで。そんでも、ちぃとも苦にならんだ。根が料理好きやったんやろなぁ」。中学を卒業すると、高山市のアリス食堂に住み込みで勤務。調理の修業が始まった。

その後、神岡鉱山の職員寮で、賄いを担当していた叔母からの誘いが。「職員の偉い様相手の賄やで、ちぃと手伝ってまえんかって」。その後、食品スーパー駿河屋の総菜コーナーへ と転職。「7 年ぐりゃあだったか、勤めましてなぁ」。おばちゃんが28歳になった年。幼い頃に家を出て行った母から、縁談話が持ち上がった。「母の再婚相手の親戚って言うのが、今の旦那なんやさ。ちょうどその頃、旦那の実家があった保地区は、旧河合村のダム湖に沈んでまうで、じきに古川へと移り住む予定やった。それと初対面の姑さんが『家の息子のとこへ、嫁に来て欲しい』って言わはるんやさ。また私もその姑さんを直ぐに気に入ってまって・・・。何でかってか?そりゃあ幼い頃に母と離れ離れになって、私は常識ってぇもんを母から教えてもらえなんだで。だからここの姑のかあ様から、それを学ばせて貰おうって思ったんやさ。まあ、私からしたら、旦那なんてどうでもえがった。そしてもちろん、古川でこの店を構えさせて貰うって条件付きで」。おばちゃんは、入り口のガラス戸から通りを見詰め、懐かしげに笑った。

昭和45(1970)年4月、長男が誕生。その半年後の10月、おばちゃんの念願が叶い量り売り専門店の「おかずや山本」も産声を上げた。「姑さんがござったもんで、子守りもご飯もやわってくれはったで、私はその分店にかかりっきりやった」。量り売り専門店の「おかずや山本」の店内には、大鍋で煮たぜんまいやタケノコ、里芋からこも豆腐まで、鍋ごとデーンと居並ぶ。「一番人気は、やっぱり揚げたてのから揚げ!昼頃と夕方に揚げたてをお出ししとるで、それを目当てに買いに来なさるんやさ。から揚げの他にも、ゴボウを千切りにしてじっくり揚げた、カリッカリのゴボ天も人気やねぇ」。開店当初から今も、客足が絶えることはない。「開店したばかりの頃のお客さんは、近所のお年寄り衆が中心。今思うと、宣伝もしとらんのに、どうして来てくれはるんやろうって」。おばちゃんが作る、素朴でどこか懐かしいおかずの味と、普段着のままのおばちゃんの人柄が、次第に町の衆の胃袋を魅了していった。「それから次第に、お悔みがあると夜伽用にって、ぎょうさん買ってかはるようにもなったし。それが今じゃあ若い年代の者やら、この地に移り住んで来られた方や、外人さんまで見えます。それに今は、家でいっぺん買わはった方が、インターネットとかに上げなさるで、それを見た方がわざわざ遠方からおいでになるんやさ」。週明け月曜日は客足が多く、一番店も賑わう。不思議と水曜日は客の入りもまばらとか。週末の土曜辺りは、高山市やそのほかの地域から、わざわざ訪れる方も多いそうだ。

「開店から54年になるけど、やっぱりお客さんが来て下さらんのが、今でも一番怖いんやさ」。「ところでご主人様も、店を手伝って下さるんですか?」と問うてみた。すると「いやいや、旦那は元々大工やったで、店の事には開店以来、一切口出しもせん。今は次男が調理を担当しとるんやさ」。82歳になるご主人は、大の山好き酒好きとか。「その時期その時期になると山へ行って、山菜やらナメコやら。タケノコなんか大きな袋に一杯、二つぐらい平気で負いねて来るし、イワナ漁が解禁になると1日で70~80匹も釣って来るんやさ」。「そうすると、それらも旬のおかずとして並ぶの?」と再び問うた。「山菜やナメコにタ ケノコは私が貰うけど、イワナは自分で焼いて、好きな仲間に全部くれてまって、私にはひとっつも渡らん!」「でも採れたての旬の山菜やらは、当然鮮度も良くってピカイチでしょうから、さぞかし ご主人に仕入れ代としてお小遣いも弾むんでしょうねぇ」と、そんな疑問を呟いた。すると「そんなもん、旦那への仕入れ代は全部『酒』!昼にはビールから始まって、夕方からは日本酒。おまけに寝酒は、自分でせっせと漬け込んだ、マタタビやらヤマブドウの焼酎と、一日中酒浸りやさ」。大の山好き酒好きというご主人。店の切り盛りには一切口を挟まず、それでも陰ながらおばちゃんを支え続けたことだろう。

「ところで、『ことりちゃん』って?」と、やっとのこと気になって気になって仕方なかった疑問を投げかけた。「ことりちゃんは、から揚げのことやさ。だって毎日毎日、何十回ってから揚げを揚げるもんで、その都度いちいち『から揚げ』とか言うのも大変やし、いつの間にか『ことりちゃん』って呼んどったんやなぁ」。おばちゃんは、店一番の人気商品に愛称を付した。「おまけってかぁ?そりゃあようけ買わった方とか、毎日来てくれはる方に、いつもいつもやないけど、たまにはお礼代わりにおまけでもしとこかって、そんな事もあるわなぁ」。ことりちゃんはいつしか、常連客への感謝を表す、そんなおばちゃんならではの、コミュニケーションツールとしても活用されているようだ。

「今にして思えば、ここまで店を続けて来られたのは、お客さんが私を育ててくれたでやさ。それともう一つは、大工一筋だった旦那が、何一つ口も挟まんと、私の好きなようにやらせてくれたからやろなぁ。だからもうちょっと、お客さんへのご恩返しとして、少しでもお客さんのお腹と心が、満たしてもらえるよう頑張らにゃあ」85歳まで現役を目標に、「おかずや山本」の看板おばちゃんは、今日も店先で客を迎える。   
    
山本久恵さん(古川町)