ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 広報ひだ > 山城ツアー「飛騨の城跡へ行こう!」始まる

山城ツアー「飛騨の城跡へ行こう!」始まる

印刷用ページを表示する掲載日:2023年5月24日更新

​5月21日(日曜日)神岡町・傘松城跡ほか

専門家の解説に耳を傾けながら城跡を巡り、中世武士の暮らしを体感するイベントが3回にわたって行われます。初回は神岡一帯を治めた江馬氏ゆかりの「傘松(からかさまつ)城跡」です。

傘松城は飛騨の山城の中で最大の堀切が確認されている江馬氏最末期に造られた城です。山城研究の第一人者で滋賀県立大名誉教授・中井均氏がガイドを務められ、市内外から約20人が参加しました。

一行は神岡町の常蓮寺を出発。傘松城は標高802mの観音山の頂に築かれ、登山口の同寺から城跡までは標高差約400m、飛騨の山城の中で最も長い距離を歩かないといけません。参加者は息を切らして1時間ほどかけて登りましたが、道中、タニウツギやヤマツツジなどの春の花たちが出迎えてくれ、楽しく登ることができました。

山頂近くになると、巨大な堀切や横堀などの遺構が次々と現れ、参加者はしばらく足を止め、戦国時代に思いを馳せていました。
中井教授によると、中でも西尾根の堀切は10メートルもある巨大なものだったと想定され、また令和2年の調査で新たな横堀が確認されたことで、主郭直下3方向に横堀が巡るダイナミックな遺構であり、防御がいかに堅牢であったかが分かっています。

主郭があった山頂に到着すると、一気に視界が開け、参加者から一斉に歓声が上がりました。中井教授は江馬氏館も見える市街地を指し示しながら「江馬氏が治める高原郷が一望できるので、ここを掌握したと考えられています。この城跡からは遺物が出ていないので、戦の時のみ兵が集まる砦だったと考えられています」と話していました。

この後、参加者は江馬氏館を見学して昼食をとり、希望者のみ神岡城の茶会へ。参加した高山市の森本涼真さんと母親の敬子さんは「傘松城は飛騨の特徴である畦状の空堀群が見つかっていないことが分かりましたが、統治する人によって城の造り方も異なっていたのですね。実際に戦はなかったそうですが、これだけ大きな規模の城が築かれたことに驚きました」と話していました。

傘松城跡は今秋、国史跡として登録される予定です。

 

ツアーの様子(1)

ツアーの様子(1)

 

ツアーの様子(2)

ツアーの様子(2)

 

ツアーの様子(3)

ツアーの様子(3)

 

ツアーの様子(4)

ツアーの様子(4)

 

ツアーの様子(5)

ツアーの様子(5)

 

ツアーの様子(6)

ツアーの様子(6)

 

ツアーの様子(7)

ツアーの様子(7)

 

ツアーの様子(8)

ツアーの様子(8)

 

ツアーの様子(9)

ツアーの様子(9)

 

ツアーの様子(10)

ツアーの様子(10)

 

ツアーの様子(11)

ツアーの様子(12)

 

ツアーの様子(12)

ツアーの様子(12)

 

ツアーの様子(13)

ツアーの様子(13)

 

ツアーの様子(14)

ツアーの様子(14)

 

ツアーの様子(15)

ツアーの様子(15)

 

ツアーの様子(16)

ツアーの様子(16)