1月30日(火曜日)古川町公民館
古川祭の歴史や史料などをまとめた書籍『古川祭史』の発刊に向けて調査・研究を進めている飛騨市古川祭史編集委員会(福井重治委員長、委員6人)が、これまでの調査内容について途中経過を報告する「第3回古川祭史市民講演会」を古川町公民館で開きました。
今回は「撮影協力員の写真から紐解く令和5年の古川祭」と題し、昨年の古川祭で各台組の協力を得て撮影した約7000枚の写真を整理、調査したことから見えてきた古川祭の現状や全体像、過去の祭りとの違いなどの成果について報告。同編集委員会の本永義博副委員長による成果報告に加え、昨年の起し太鼓主事だった玄武組で撮影協力員を務めた松木和則さん、同じく屋台主事だった清曜台組で撮影協力員を務めた岡田恵一さんが、それぞれの立場から報告を行いました。
本永さんは、古川祭の執行へ向けての準備段階から当日までの流れなどを、各会議や作業などそれぞれの節目ごとにていねいに紹介しました。さまざまなデータや120枚ほどの写真を示しながら、昨年の古川祭と平成元年に執行された古川祭とを比較。少子高齢化や氏子数の減少、コロナ禍などさまざまな原因によって生じた変化なども報告しました。
かつてはすべて人力で行っていた旗立ても、近年では高所作業車やクレーンを使って省力化を図ったり、場所によっては立てなくなったところもあると紹介。一方で、当番会所の設営では、その多くで「橋掛り」と呼ばれる神様の通る道作りが残っており、古川祭の大きな特徴だと指摘しました。また、写真を示しながら、平成元年ごろにはまだ一部の台組でしか女の子が参加できなかったが、今はお囃子にも多くの女の子が参加しているとし、時代に応じて取り組み方が変化していると紹介しました。
松木さんは昭和9、昭和24、昭和37年の起し太鼓の動画を上映し、そこから分かる昔の起し太鼓の様子などを解説しました。また、コロナ禍が明けきらぬ中での起し太鼓執行に向けた判断や準備が非常に大変だったと吐露。ベテランが引退したり人口減少の影響で、平成元年と比べ100人近く出役者が減った現状の中、経験の浅いメンバーが悩みながらも取り組んできた経緯などを説明しました。
岡田さんは、屋台主事の役割や執行に向けた流れなどについて説明しました。その中で、人手不足や新型コロナ対策で出席者を制限したり、事務や作業を簡略化してきた現状も紹介。祭りを守る意味でも、見直すべきところは見直していかなければならない部分があったと報告しました。
この日は、地元の皆さんや関係者など約90人が参加し、メモを取ったり写真を撮ったりしながら熱心に耳を傾けていました。古川町殿町の杉原幸晴さんは「普段は聞けないような、かなり貴重な話を聞かせていただきました。屋台主事の現状も様変わりしてきたのだという印象を持ちました」と感想を話していました。