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語り継がれる政井みねさんの銅像の除幕式を開催

印刷用ページを表示する掲載日:2024年5月29日更新

5月26日(日) 専勝寺

かつて野麦峠を越えて長野県の製糸会社に出稼ぎに行った「女工さん」の一人で、映画『あゝ野麦峠』の主人公のモデルとなった河合町出身の政井みねさんの銅像がこのほど完成し、建立された同町の専勝寺境内で除幕式が行われました。

銅像を寄進したのは、東京で不動産会社などを経営する漆原徳光さん。漆原さんは、さまざまな偉業をなしとげた人々の足跡をたどっており、その史跡などを訪れる中で、みねさんの墓も参拝。みねさんやその兄・辰次郎さんの生き様にふれて感銘を受けたり、同寺の岩佐淳住職らとふれあい、河合町にそうした人々の情愛が継承されていることに感慨を覚えたそうです。設置してあった、みねさんの墓の案内看板が壊れていたことから寄進を申し出られ、他にも生家跡の看板や石碑、辰次郎さんが建てた弘法大師の石像の案内看板なども寄贈されています。

当日は、漆原さんをはじめ政井家親族を代表して政井智治さん、来賓や地域住民代表、寺院関係者などが参列。来訪した近隣の住民などが見守る中、岩佐住職らが読経をあげ、列席した皆さんは焼香をあげるなどして手を合わせました。

勤行の後、あいさつに立った岩佐住職は、漆原さんとの出会いや寄進に至った経緯などを紹介しました。また銅像は、境内から見て、みねさんの生家の方向である東南向きで建てられたことなどを報告。芳名帳に書き込んであった「みねさんの墓参りをして自殺を思いとどまった」などとする文章も紹介しながら「みねさんは100年経っても人の命を救い、多くの人に生きる力や希望を与えてくれています。銅像が末永く建っていてほしい」などと思いを述べ、漆原さんに感謝状を贈りました。

漆原さんは「私の故郷である東京はマネーのことばかりを考えるようになり、江戸っ子気質は壊されてしまった。不思議な縁で知り合った河合町には、まだ人の情愛が継承されていて、河合の皆さんの向こうに政井さんの姿を見ました。それは心と精神の文化遺産であり、皆さんはその貴重な財産の継承者です」としみじみ話していました。

政井智治さんは「子どものころ映画を見に行きました。大雪の中、峠を越えるシーンが印象に残っています。100年以上も前の人ですが、女性のおかれた環境は厳しいものだったと思います。多くの人に訪れていただき、当時のことを知る機会になれば」と話していました。

政井みねさんの銅像除幕式 集合写真

政井みねさん銅像除幕式の様子 集合写真

政井みねさんの銅像

 政井みねさん 銅像

政井みねさんの銅像除幕式の様子(1)

政井みねさん銅像除幕式の様子

政井みねさんの銅像除幕式の様子(2)

政井みねさん銅像除幕式の様子

政井みねさんの銅像除幕式の様子(3)

政井みねさん銅像除幕式の様子

政井みねさんの銅像除幕式の様子(4)

政井みねさん銅像除幕式の様子

政井みねさんの銅像除幕式の様子(5)

政井みねさん銅像除幕式の様子