7月5日(金曜日)古川中学校
戦争の悲惨さや平和の尊さを市民の皆さんに考えてもらおうと、飛騨市は長崎原爆の語り部として活動する八木道子さん(85)を招き、同校生徒や一般市民を対象に「被爆体験講話~原爆にあった日のはなし」を開催しました。
世界ではロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルとガザ地区の対立など未だに紛争が起き、北朝鮮によるミサイル発射などきな臭い出来事が絶えません。こうしたことは私たちの市民生活にも大きな影響を及ぼしています。
そこで、飛騨市では今年度、市民の安心な暮らしにつながる平和社会実現に貢献しようと、平和教育の推進など、従来の事業を拡充することで市民の平和意識の更なる醸成を図ることになりました。
この日、八木さんは講話の中で被爆の様子を次のように語りました。「空襲警報も出ていないのに飛行機が飛んで来たので、2階の縁側から飛行機の行方を見ていると、ピカッと強い光と同時に、ドーンと大きな音と、体が持ち上げられるような強い衝撃を感じ、気付いた時には玄関にうずくまっていました。タンスや机、家の周りの物もことごとく吹き飛ばされ、先ほどまでうるさいほど鳴いていたセミの声も聞こえなく…」と。
終戦間近の1945年8月9日、当時、国民学校1年生(6歳)だった八木さんは爆心地から3.3kmの自宅で被爆しました。講話ではその時の体験や家族を失った子どもたちの被爆後の様子など、スライドを見せながら生々しく語り、「人の命の尊さを忘れた戦争は2度とあってはならない」「あなたたちに平和のバトンをつないでほしい」という強い思いとメッセージを送りました。
講話終了後、あいさつに立った坂本香乃さん(3年)は「原爆や戦争の恐ろしさは当事者から聞かないと分からないことがたくさんあります。今日は貴重なお話を聞かせていただきよかったです。被災後の悲惨な状況も教えていただき、八木さんがおっしゃったように『長崎を最後の被爆地にしないといけない』と思いました。これからも戦争について学び、語り継いでいきたいと思います」と述べ、この後、全校生徒で合唱のプレゼントを行いました。
飛騨市では今後、市内の小中学生と高校生を対象に平和をテーマにした「絵画コンテスト」や市民対象の「短歌コンクール」の開催、長崎市で毎年行われている「青少年ピースフォーラム」への市内中学生の派遣、また「飛騨市平和都市宣言(仮称)」を公募による平和都市宣言検討委員会において今年度末までにまとめ、策定する予定です。