東町城は、野尻城または沖野城とも伝わる、飛騨市内で唯一の平山城です。室町時代から戦国時代にかけて高原郷(現在の飛騨市神岡町、高山市上宝町周辺)を支配した地方領主・江馬氏の居城と伝わります。
江馬氏下館での発掘調査の結果、16世紀前半には下館を廃絶して他所に移ったことが判明しています。そのため、文献史料に東町城に関する記録は残っていませんが、江馬氏の居城の移転先として有力な場所です。天正13年(1585)に金森氏が飛騨に入国して以降、東町城跡は石垣をはじめとして大規模に改修されたと考えられます。その後、元和元年(1615)の一国一城令で廃城になったと考えられます。
江戸時代以降は、城跡は畑として使われていましたが、昭和45年(1970)に城跡公園として整備され、現在に至ります。
東町城は、飛騨市内で唯一の平山城(ひらやまじろ)で、現在神岡城が建つ櫓台は50m四方ほどで西面が崖、それ以外の方向は内堀が取り囲んでいます。その外側に幅約30mほどの曲輪がコの字型に取り囲み、その周囲をさらに外堀が取り囲んでいます。堀や櫓台には石垣が築かれ、段丘崖には2条の竪堀が残されています。
昭和の整備によって石垣は積み直され、遺構にも大きな影響を及ぼしたと考えられます。しかし、整備前の図面や古写真を確認すると、曲輪の形は資料館整備前と大きく変わっていないことや、石垣の存在が確認できます。江戸中期に編纂された『飛州志』には、江馬氏の家臣・川上中務丞居之が居城としたと記され、同書所載の絵図には「江馬之御館」として描かれています。江戸時代後期に地元の文化人・大森旭亭作の「越中東街道画巻」(飛騨市指定有形文化財)にも、城跡の様子が描かれています。
『飛州志』所載の絵図
さらに公園整備前に撮影された古写真を見ると、現在と同様の堀の痕跡が認められる他、現在神岡城が建っている櫓台には算木積みを伴う石垣が築かれていたことが確認できます。そのため、櫓台には石垣を基底とする天守相当の重層櫓が建っていた可能性があります。このような石垣の使用は、他の江馬氏の城には見られないものですので、金森氏が改修した可能性が考えられます。この櫓台は段丘に面して構築されていることから、現在の神岡城と同じように、下方の町場から見える象徴的な役割を果たしていたと考えられます。
一方で、周辺におけるこれまでの発掘調査によって、前段階の地層や堀を確認しているため、江馬氏が使用した可能性も高いと考えられます。
公園整備前の櫓台石垣の写真(個人提供)
東町城は近世以降の主要な町場や街道、河川を押さえる場所に立地しています。城下の高原川沿いの船津地区は、近世以降は高原郷の中心地として発展しました。東町城は船津を見下ろす段丘の縁に位置しています。このため、東町城はこの町場に強い影響を与えたものと考えられます。
江戸~明治の絵図をもとにした景観調査によって、高原川両岸の東町・船津の町の中に越中街道が通り、さらに道に沿って整然とした街区が整備されていたことが判明しました。町の端には洞雲寺・圓城寺・大津神社(現在の船津座の位置)といった寺社が配されています。城の直下の東町は街道沿いの町場と上段の「上町」が存在し、上町は武家屋敷であった可能性が想定されます。
さらに、東町城の直下には藤橋(現在の藤波橋)が架かっています。この橋は越中東街道が高原川を渡河する橋で、さらにここを起点として信州方面に向かう上宝道、神岡町吉田方面に向かう吉田街道が分岐します。昔はこの橋が川を渡る唯一の橋でしたので、城から監視できる直下の橋で地域の交通や物流を管理していた様子が分かります。
以上のようなまちの構造は、金森氏が築いた高山城や増島城(古川)の城下町とよく似ています。そのため、金森氏が高原郷を統治する城として東町城とそこから見下ろす東町・船津に計画的な城下町を整備したものと考えられます。このように、東町城は現在の神岡の町を形づくった重要な城であったと考えられます。
東町城下町の景観復原図
現在、城跡の主要部は城ヶ丘公園(高原郷土館)として整備されています。公園内には「神岡城」「旧松葉家」「高原郷土館」の3施設が建っています。いずれも昭和45年(1970)に三井金属鉱業株式会社が神岡鉱業所の創業100周年を記念して整備したものです。
神岡城はもともとあった櫓台の上に、犬山城や丸岡城等を参考に設計して建てられた天守です。設計考証は『定本 飛騨の城』の著者・森本一雄が行い、設計製図は名古屋工業大学の城戸久教授が行いました。「神岡城」という城の名前は、この際に公募で名づけられたものです。内部の展示は2023年にリニューアルを行い、江馬氏城館跡や神岡の遺跡について、解説しています。
旧松葉家は、神岡町割石地区に明治元年頃に建築された民家を移築したもので、岐阜県有形民俗文化財に指定されています。入母屋造り・銅板葺き(移築前は茅葺き)・桁行14m・梁間10mで、北飛騨地方古来の民家様式をそのまま残している。神岡町で唯一残存する合掌造りの建物で、手斧梁と称する曲線材を使用した小屋組を見ることができます。
鉱山資料館は近代以降の神岡の主要産業であった神岡鉱山を解説する資料館です。昭和40年代当時の採鉱、選鉱、精錬、製品に至るまでの作業工程が模型やパネルで解説しています。
建設中の神岡城の写真(個人提供)
城跡は高原郷土館の敷地です。施設は4月~11月の期間見学ができます。
住所 | 506-1123 岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘1 |
---|---|
電話番号 | 0578-82-0253 |
問合せ先 | 高原郷土館 |
ウェブサイト | 飛騨市の文化財ホームページ<外部リンク> |
アクセス | <高山市街より>国道41・471号経由で約60分 <富山市街より>国道41・471号経由で約60分 <JR飛騨古川駅より> 車で約30分 バスで約40分(濃飛バス西里バス停下車)、徒歩約18分 ※時間帯によって交通手段、時間が異なります。詳しくはグーグルマップで検索<外部リンク>してください |
営業時間 | 9時00分~16時30分(入館は16時15分まで) |
休業日 | 12月1日~翌年3月31日(冬期休館) |
料金 | <個人>大人200円、高校生以下無料 <団体(20名以上)>大人160円、高校生以下無料 <共通券(史跡江馬氏館跡公園会所・庭園)>大人300円 ※正面の鉱山資料館で入場券をお買い求めください ※11月3日の文化の日は無料です |
駐車場(普通車) | 有(無料) ※道を挟んで南側の駐車場です |